1911
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(明
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44)
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初代 山本義雄鳥取生まれ5人兄弟の末子
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1923
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(大
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12)
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次兄 定雄が営む東京池袋の万年筆製造所に見習い職人として入る
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1928
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(昭
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3)
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次兄 定雄は満州大連市に販売拠点として支店開設、兄定雄と共に大連へ渡る この時初めて万年筆博士を屋号とする
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1934
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(
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9)
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義雄独立する。職域販売を主とする外商でスタート
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1939
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(
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14)
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故郷鳥取へ帰り結婚する。地元の木工挽物工場で働く
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1941
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(
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16)
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大阪で職を二転三転ののち坪田万年筆製作所に入る
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1944
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(
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19)
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疎開して再び鳥取へ帰り実家(野坂)で万年筆製造に励む
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1945
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(
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20)
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鳥取市瓦町の借家で製造、小売を始める。『万年筆博士』を掲げる
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1946
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(
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21)
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駅前に借家で支店をつくり、現在の元とする。商標(SILVER〜DOCTOR)
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1948
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(
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23)
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大連より引き揚げた兄定雄は岡山駅前で『万年筆博士』を開業するが、5年程して廃業する。 現在、小児科医院として医学博士
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1952
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(
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27)
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田中晴美(1937.1月生れ)職人の末弟(岡本、岡島)として入社する こののち田中は、10年ほど万年筆製造に従事するも兄弟子の仕事を盗む以外、まともに仕事を教えてはもらえなかったという。
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1960
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(
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35)
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昭和30年代中ばより、マスプロ、マスセールス時代に入り、大手メーカー品以外見向きもされなくなり、製造販売から、仕入販売へ移行。
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1970
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(
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45)
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二代目山本雅明(1942.12月生れ)法政大学を中退、東京のプラチナ万年筆(株)で営業を4年経験したのち帰郷。
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1976
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(
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51)
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初代義雄、死去。65才没
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1979
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(
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54)
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3月店舗新築
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1982
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(
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57)
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HAKASEブランドの手づくりオーダー万年筆を発売する セーラー万年筆のOEMでペン先とキャップバンド及びキャップの天冠にHAKASEの刻印とWペンマークを入れ、個々の書き癖に合わせてペンポイントを研磨する
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1984
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(
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59)
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軸材にドイツ製エボナイト(三柄:ブラック、レッドマーブル、オレンジマーブル)を使用、ペン先から軸まで一貫して製作できるシステムが完成
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1985
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(
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60)
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軸材にセルロイド製品を開発(三柄:ジェードグリーン、リップルレッド、オレンジマーブル)ダイセル化学工業とタイアップして復活
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1986
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(
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61)
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東急ハンズ池袋店イベント、日本で始めて羽根ペンを製作、発売する
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1987
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(
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62)
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日本橋三越イベント、大阪そごうホップイベント、世界で始めて水牛製万年筆を発売、セルロイド新柄ラピスブルーが加わる
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1988
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(
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63)
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日本橋三越第2回
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1989
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(平
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元)
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横浜高島屋イベント、日本橋三越第3回、アメリカでカタログ販売のアイテムとして登場 2年間のテスト販売で好評だが、アフターケア面でネックありと撤退
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1990
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(
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2)
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横浜高島屋第2回、日本橋三越第4回、軸材にべっ甲製品を開発
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1991
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(
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3)
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日本橋三越第5回、軸材にパープルウッド製品を開発 HAKASE通信創刊する(あやしい編集長、徳持耕一郎氏)、通信2号
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1992
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(
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4)
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日本橋三越第6回、通信3号、4号
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1993
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(
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5)
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通信5号
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1994
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(
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6)
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日本橋三越第7回
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1995
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(
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7)
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通信6号、HAKASE万年筆サミット鳥取開催、第1回交流会東京荻窪
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1996
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(
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8)
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三代目山本竜(1974.5月生れ)高卒後、アメリカ横断、バイクのレース活動のち入社 通信7号、第2回交流会東京目黒
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1997
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(
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9)
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通信8号、第3回交流会東京神楽坂
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1998
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(
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10)
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大型15号ペン"EX"発売、通信9号、第4回交流会神楽坂
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1999
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(
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11)
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オリジナルユニコーンクリップを開発、エボナイト新柄ブルーマーブルが加わる 通信10号、第5回交流会神楽坂
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2000
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(
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12)
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山本竜、起業するため退社 軸材にココボロウッド製品を開発、第6回交流会神楽坂
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2001
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(
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13)
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パープルウッド国内在庫なしで廃番とする、第7回交流会神楽坂
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2002
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(
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14)
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山本竜、東京で起業失敗の経験をし、後継職人を育てる決意をし帰郷。 職人田中晴美50周年記念万年筆200本限定発売 通信11号(あぶない編集長、古山浩一氏)、第8回交流会神楽坂
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2003
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(
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15)
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プライベートリザーブインク(USA)の正規ディーラーに 通信12号、第9回交流会神楽坂
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2004
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(
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16)
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店舗を大幅に改装、ろくろの増設。 通信13号、第10回交流会神楽坂 田中晴美、厚生労働大臣表彰現代の名工受彰
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2005
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(
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17)
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イカ墨セピアインク限定版、普及版発売、 通信14号、神楽坂第11回交流会
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2006
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(
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18)
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HAKASEの万年筆サミットin智頭開催 通信15号(サミット特集号)、第12回交流会京橋
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2007
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(
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19)
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初代春子、死去。90才没 通信16号、第13回交流会京橋
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2008
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(
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20)
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三代目山本竜代表取締役就任 通信17号、第14回交流会京橋(三代目試作モデル発表)
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